2015年11月22日

横浜・伊勢佐木町 物語<83>


最先端の 「みなとみらい」 と伝統の薫る 「馬車道」


赤レンガ倉庫の背後には高さ296メートルを誇る
当時としては日本一の超高層ビル 「ランドマークタワー」 が視界に入る。

ここから先は 「みなとみらい21」 と呼ばれ、
いまや中華街と並ぶヨコハマの集客スポットとなっている。

休日ともなると多くの来街者で溢れかえり、身動きもできないほどだ。
その数は年間4千万人といわれる。

“はまっパレ!” のコースからは外れるが国際橋のほうに繰り出すと、
そこにはいくつもの高層ビルが林立し、青い空をつく近代的な景観をつくっている。

だが人工的に建設された都市という印象はぬぐえず、歴史を刻んだ重厚感あふれる
オシャレが正統だとされるヨコハマのイメージとはかなり遠い感じがする。

なので、開港後いち早く発展してきた伊勢佐木町と比べると
人出こそはるかに上回るが、こと歴史の深さは比べようもない。

さて、パレードの中間地点となる赤レンガパークを後にした隊列は
「横浜ワールドポーターズ」 のところで左折し、万国橋を渡ってさらに直進する。

横浜第二合同庁舎を右手にみて進むと、
そこからは一転して歴史を感じさせる 「馬車道」 だ。

開港以降ヨコハマの街は急速に整備されていき、
この通りの商店主たちも競って街路樹や松を植えるなどして道路を整えた。

これが日本での近代的街路樹のはしりとされ、
馬車道には 「近代的街路樹 発祥の地」 の記念碑がつくられている。

また明治5 (1872) 年には日本初のガス灯が設置された。
この記念碑も関内ホール前におかれている。

関内地区はヨコハマに外国人居留地がつくられて以来、
多くの外国人を受け入れてきたエリアだ。

この道は関内地区とつなぐだけではなく、
伊勢佐木町を中心とする関外地区と横浜港を結ぶメインストリートだった。

当時の外国人はこの通りを馬車で往来、そこから 「馬車道」 という名前がついた。

さまざまな国籍の人が行き来したことからか、
馬車道エリアには現在も世界各国の料理店が存在する。

スペイン、インド、トルコ、メキシコ、フィリピン、ギリシャ……等々、
実にさまざまな国々のレストランを発見することができる。

馬車道でまず目を引かれるのが 「神奈川県立歴史博物館」 だ。

八角型のドームをもつネオバロック式の建物が圧倒的な存在感を誇る。

この建物は明治37 (1904) 年、
横浜正金銀行 (のちの東京銀行) 本店として竣工された。

関東大震災によってドーム部分が消失したが、その後復元された。

半円型の入口と三本円柱で支えられた白いバルコニーが印象的な
「BankART1929」 は、横浜市が推進する歴史的建造物や港湾施設等を活用した
文化芸術創造の実験プログラムとしてつくられたギャラリーだ。

bankART=バンカートとは、旧第一銀行と旧富士銀行、
このふたつの建物を芸術文化に利用するという意味の造語で、
ふたつとも昭和5 (1929) 年に建てられた。

世界恐慌がはじまったこの年はニューヨーク近代美術館 (MOMA) が設立された
年でもあり、芸術関係者にとっては記念すべき年だった。

同じように歴史建造物が多く残る日本大通りやみなと大通りよりも、
もっと悠然とした雰囲気を醸し出す馬車道――そんなレトロなエリアであっても、
伝統を尊重しながら新たな文化・芸術を発信しようという動きは着実に進んでいる。

そういった歴史の刻まれた沿道を左右に見ながらJOHNLOSの3人を乗せた
フロートは馬車道を通りぬけ、やがて 「伊勢佐木町」 へと入っていく――。

<以下、つづく>

馬車道
Yahoo!「馬車道の画像」より


Posted by やすちん at 23:38│Comments(0)
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