2015年11月23日

横浜・伊勢佐木町 物語<84>


イセザキモールに歓喜の渦が巻き起こる


その瞬間、普段はさほど賑わいをみせないこの街が異様な熱気に包まれた。

きょうのパレードに合わせて派手に彩られた大きなフロートが街の入り口にある
ウェルカムゲートをくぐり抜けると、その高揚感はさらに激しさを増してきた。

これまでにも登場してきた 「フロート」 とはパレードなどに使用される特殊なクルマで、
わが国では東京ディズニーランドやユニバーサルスタジオ・ジャパンでお馴染だ。

車輪部分をできるかぎり覆い、
地面から浮いているかのように見えるためフロートと呼んでいる。

側面に 「イセザキモール1~7st.&横浜マツザカヤ」 と記されたこの大きなフロートが
やがて横浜松坂屋の前にさしかかると、ゆったりとした速度をより一層ゆるめて
ほとんど停止状態となった。

それが合図であるかのように、フロート上に陣取る3人の若者からなるミュージシャン
JOHNLOSが手際よく演奏をはじめた。

もちろん、その曲は 「伊勢佐木町ブルース」 ――。

その昔、いまは亡き青江三奈が歌って大ヒットした曲を今風にロック調で巧みな
アレンジをほどこし、軽快なリズムに乗せて奏でている。

山下埠頭を出発したときからすでに何回か繰り返し演奏してきているのだが、
フロートが伊勢佐木町に入ってきたときから彼らの演奏は一層熱を帯びている。

リーダー海野哲也のアレンジは原曲の良さを損なわず、そこに爽やかさが加味されて
独特の清涼感を醸し出している。衰退が叫ばれて久しいこの街を活気づけるには、
まさにうってつけのサウンドといってよい。

この 「伊勢佐木町ブルース」 が大ヒットを飛ばしたのは、このパレードが行われている
平成19 (2007) 年の40年ほど前になる昭和43 (1968年) のことだった。

かつて、ここは東京・銀座と並び称される一大繁華街だったが、
この歌がリリースされたころはすでに 「伊勢佐木町」 の名前は徐々に大衆から
忘れ去られようとしているときだった。

ところが 「伊勢佐木町ブルース」 は予想をはるかに超えるミリオンセラーとなるなかで、
この街はふたたび脚光を浴び、その名を全国へと轟かせることになったのだ。

やがて、JOHNLOSと若さ溢れるチアガールたちを乗せたフロートが
伊勢佐木町の三丁目へと進んでいった。

いつもなら、二丁目と三丁目の境となる広い道路が来街者の回遊をさえぎり、
ここ三丁目からは徐々に人通りが少なくなっていく。

そして最西端となる七丁目ともなると人影もまばらで、もはやかつての面影はまったく
ないのだが、この日に限っては三丁目から四丁目あたりは沿道を埋め尽くす群衆の
列が途絶えることはない。

「昔は毎日がこのような賑わいだった……」

晴れやかなパレードをつぶさに眺めていた伊奈正明はこうつぶやいた。

伊奈は平成15 (2003) 年に店舗を畳むまで、
この街で長い年月にわたってレコード店 「ヨコチク」 を経営していた。

現在は、以前に店のあった三丁目の通りから一歩裏手に入ったビルの地下に
オフィスを構え、すでに80代の半ばにさしかかろうという高齢にもかかわらず、
このときはまだ現役で音楽関係の仕事に携わっていた。

この街にとって救世主となった 「伊勢佐木町ブルース」 が発売されたのは、
伊奈が働き盛りの40代半ばのときだった。

だが、当初はさほど話題になることもなかった。
それでも、伊奈をはじめ街全体がひとつになってプロモーション活動に尽力した。

この曲をイセザキ再生の起爆剤にしよう、かつての勢いを再現させよう――。

そんな強い想いが天に届いたのか、やがてヒット街道を驀進することになったのだ。

その輪の中心にいた伊奈は、この楽曲をミリオンセラー商品に仕立て上げた
“大ヒットづくりの仕掛け人” なのである。

<以下、つづく>

mall
Yahoo!「伊勢佐木町の画像」より


Posted by やすちん at 01:32│Comments(0)
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