2015年11月24日

横浜・伊勢佐木町 物語<85>


この街に深く根を下ろした 「賑わい」 という遺伝子


長い間ここ伊勢佐木町でレコード店を経営するなど音楽活動に関わってきた
人間だからこそ、この街への思い入れが人一倍強いのか、全出場チームのなかでも
ひときわ華やかに見えた 「イセザキモール1~7st.&横浜マツザカヤ」 のフロートは、
伊奈正明の目の前を通りすぎて伊勢佐木町四丁目へと突き進んでいった。

このように大掛かりなフロートを採用してチームを編成している企業・団体をはじめ、
全部で50組近くがエントリーしたこの “はまっパレ!” は今大会で55回目となる。


第1回目からずっと参加しているという 「神奈川県警察音楽隊」 が隊列の先陣を切り、
最終組となる 「横浜市消防音楽隊」 までの総勢48組が趣向を凝らした一芸を
沿道の聴衆に披露する。

参加チームはこれらのほかに、横浜商工会議所、神奈川大学、横浜ベイスターズ、
横浜高島屋、相鉄ジョイナス、日産自動車、キリンビール、崎陽軒など、
ここ港ヨコハマにゆかりのある団体や企業ばかりである。

そのうち伊勢佐木町チームのように、
きれいにドレスアップされたフロートでパレードに臨んでいるのは10組近くにのぼる。

これほど華やかで派手に彩られたイベントは横浜市では最大規模といってよい。

この “はまっパレ!” のスタート地点は山下埠頭で、ゴールは伊勢佐木町となる。
全長3.8キロメートルの道のりをおよそ1時間半で通り抜ける。

コースの設計上そうなったとはいえ、市内有数のビッグイベントを締めくくる場所に
伊勢佐木町をもってきたのも、歴史あるこの地に敬意を表した証しともいえよう。

とはいえ歴史があるというだけで、いつまでもヨコハマの中心でいられるわけでない。
現に市内でもっとも人が集まる場所は横浜駅西口だったり、みなとみらい だったりと
他のスポットにとって代わられている。

もはや伊勢佐木町がヨコハマ最大、いやっ京浜エリア屈指の繁華街だったのは
過去のことだ。

中心市街地というのは固定されたものではなく、
さまざまな要因によって立地変動を余儀なくされるものである。

そうはいっても、生物と同じように都市にも “遺伝子” がしっかりと根づいていて
容易に組み換えることはできない。

立地条件がよい場所は時間の経過とともに、
より経済活動がしやすいところへと移動していくが、
その場所に根ざした遺伝子は何年たってもそう簡単に変化することはない。

では、古くから伊勢佐木町に深く根を下ろした遺伝子とは――それは
「賑わい」 という因子ではないだろうか。

この街はその昔、いつも “賑わって” いた。
毎日がお祭りのような雰囲気を醸し出していた。

街のいたるところに芝居小屋が林立し、その代表的なものとしては 「賑座」 があり、
それは現在の伊勢佐木町三丁目にあたる 「賑町」 にあった。

このような歴史をひもといてもわかるように、明治・大正の時代からこの街には
“賑わう” ことが確固たる遺伝子として深く太く根づいているのだ。

以前のように賑わいを少しでも復活させることで、
往年の活気を少しでも取りもどせるのではないだろうか。

それはなにもこの街特有のものではない。

全国津々浦々に、
規模の大小こそあるが同様の事情を抱えた街がいくつもあるはずである。

<以下、つづく>

崎陽軒


Posted by やすちん at 00:36│Comments(0)
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