2015年11月17日

横浜・伊勢佐木町 物語<78>


フロート上から眺める古くて新しいヨコハマの街


伊勢佐木町チームのフロート上から “ニュー伊勢佐木町ブルース” をはじめ3曲を
繰りかえし演奏するJOHNLOSは、歌いながらもヨコハマの街をウォッチングしていた。

地上からおよそ3メートルというけっこう高い位置から街の様子を見下ろせる。

俯瞰しながらも建物や自然の景観など具体的な形もしっかりと確認でき、
絶妙のバランスでヨコハマの街をとらえることができるのだ。

「ヨコハマってこんなところだったかな……」

グループのリーダーである海野哲也は、
担当するアコースティックギターを抱えて演奏している合間にそんな感慨にふけった。

母親が横浜市の出身で伊勢佐木町の野澤屋 (のちの松坂屋、2008年に営業終了)
に勤めていたこともあり、幼いころからヨコハマにはよく遊びにきていた。

だが、いまフロートの上から眺めているヨコハマはなんだか違う街のごとく新鮮に映る。

それはまた、リードボーカルの桜木れおやリードギターの寺本憲之も
同じ感覚を抱いていた。

れおは大阪、憲之は熊本の出身で、哲也ほどではないが
上京後には何度かヨコハマを訪れている。

でも、3メートルもの高さからゆっくりと移動しながらヨコハマを眺めたのは
きょうが初めてだ。

雲ひとつない好天のもと百万人に迫ろうかという大観衆のなかを、
フロート上から見下ろすヨコハマの風景は実に爽快だった。

“はまっパレ!” は、はからずも彼らにとってこの街を見つめなおし、
新たな発見をする小さな旅となっていく。

視線の先に 「シルクセンター」 が見えてきた。
正式名称は財団法人シルクセンター国際貿易観光会館であり、
横浜開港100年の記念事業として昭和33 (1958) 年にオープンした。

神奈川県や横浜市、関係業界が協力し、生糸・絹産業および貿易の振興、
観光事業の発展のため、シルク博物館や横浜生糸取引所などが入居している。

ヨコハマが開港したころ、わが国の輸出品のトップは生糸だった。

特にアメリカ向けの輸出生糸は、最盛期であった明治後期から昭和初期にかけては
世界生産量のおよそ60パーセントを日本が占めていたという。

絹いわゆるシルクは開港以後、
日本が世界とつながり発展していくための大きな役割を果たしていたのである。

<以下、つづく>

シルクセンター
Yahoo!「シルクセンターの画像」より


Posted by やすちん at 23:45│Comments(0)
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